志統館

志統館の武術は、空手、ルア、そして合気道、柔術、柔道などが全て和合された原点回帰された古武術です。

15。日本文化の価値観とその奥行きを再発見する時代

日本文化の価値観とその奥行きを再発見する時代

庭の木や壁に高く這う植物のツルを見ていると思う事があります。

それは緑の新しいツルが伸びるためには、古い枯れたツルが必要であるという事です。新しいツルが古く枯れたツルに巻きつき方向性を獲得して行くのでツルはうまく育ちます。ですので古く枯れたツルを全て取り去ってしまうと、新たなツルは這う方向を失い方向が定まらないのでうまく育ちません。

 

これは現在の社会でも同じ事が言えると思うのです。

 

現代では精神性や面倒だと思える礼節を無視して、なんでも簡単な方に流される人々が増えている傾向にあり、今では前で先導して歩いてくれる年配者を「老害」などと呼ぶ者が多いそうですね。古い考えや根本的な物事の在り方を煙たがり、先人を無視して社会が前に行くことは、まるで古い枯れたツルを全て取り去って新たなツルのみを育てようとする様に方向が定まらない錯乱の方向に行きます。

 

現在では日本は西洋から来た文化に多大に影響を受けていますが、カタカナとして横文字で表記される多くの社会現象が国内で起こり、またそれに関する主張が問題となっているのがテレビやメディアを埋め尽くしています。今ではまるでどこからか突然現れたお化けの様に横文字で綴られた問題が日本国内にあふれていますが、それを日本語で縦文字に置き換えてみると、これは全て歴史始まって以来日本が上手に調和して共存してきた事柄だということに気付くはずです。

 

なぜ昔からあった現象が今問題になるのか、それはそれらを西洋的に対処しようとしているからではないでしょうか。

 

日本には昔から「長幼の序」(ちょうようのじょ)と「わきまえ」、という大切な深い東洋文化がありました。長幼の序はご年配に謙遜の念を抱き、ご年配もそれを若者に返すという関係です。東洋文化の「わきまえ」というのは、物事の陰陽、つまり陽が当たる場所と陽が当たらない陰の場所に物事を振り分けて時と場合に分けて調節することに始まり、これによって身の回りに居る全ての人が調和できるといった大切な陰陽哲学の知恵に基づいています。自然の法則から見て、子供が見て真似したり、周囲の全ての人が皆で行ったら困る行為や言動、つまり陽の場全体の模範にならないことは全て公の場では慎み、陰の場において共存する知恵です。

 

この日本文化の伝統的なわきまえは、全体主義に基づくものでありますので、西洋から導入した個人主義に基づいた優しやさ自己主張とは全く違うものです。なので単に個人がこうしたいというような個人主義からくる価値感を主張するものとは違うので、人としての強さを有する事が必要な次元のものなのです。これは武士道精神にもつながります。

 

全体主義を生物学的な点から見ると、人間の体は、細胞という個別の生物が集まったものであるため、私たち自身が個人として捉えている自分の体自体が実は生物の群れであり、それでできている私たちも群れをなすことを好む社会的な動物です。このことから私たちは家族や先人というまた大きな全体があって初めて力を発揮することができ、また幸せを感じるのです。

 

このような生理的な理由からも全体主義の日本特有文化は理にかなっているのですが、この大切な文化を無くした人たちがこのまま平等と民主化を勘違いして邁進することで、本来問題ではなかったいろいろな事が大きな問題に発展し、人々の分裂を生むのは目に見えていませんか。

 

これを突き詰める事で決して住み良い社会、良い国にはならないのは国外をみれば分かり切ったことであり、実際は逆に多くの法律が定められ、警察力によって自己制御力を無くした大衆を家畜の様にがんじがらめにする道であることを、東洋の国であり、文化を重んじる日本人が速やかに理解すべき内容ではないでしょうか。

 

個人一人の力は知れたものですが、自分の本当の強さを養い、本当の意味で幸せになるには先人の力、つまり年配者そして家族の力が自分と一つになることが必要不可欠です。

 

 

今世界は大変な時代に入っていますが、まず日本の人々が「長幼の序」による敬老の心を思い出し、そして日本的な「わきまえ」という自分の国の美しい美徳を是非再確認してください。これが世界中の人が日本に注目する大きな理由なのですから。。。

 

 

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